生前整理を手伝って分かった終活の大変さ


昨年の夏に、かつて勤めていた会社の上司から、生前整理の手伝いを頼まれました。
年齢は75歳で、終活を意識してのことだったそうです。
私はこの方に本当にお世話になっていたので、もともと断るつもりはなかったのですが、今となっては手伝って本当に良かったと思っています。

当日お家にお邪魔すると、まずその物の多さに驚きました。
それまでに仕事や趣味を通じて溜めていた様々な物が、所狭しと部屋にあるのです。
上司はずっと独身でしたから、寂しさを埋めるために自然と物も増えていったのかもしれません。
これは大変だぞというのが、素直な感想でした。

しかしいざ手伝いを始めると、その1つ1つに色んなエピソードがあることを知りました。

「この賞状は初めて会社で表彰されたときのものでね。」
「この靴は長年通勤に使っていたものでね。」
「このアルバムは転職するときに部下から貰ったものでね。」

そのような話を聞いているうちに、全ての物が上司にとって宝物なのだと感じたのです。
そしてそれらを手に取り処分をするという重さにも、やがて気が付くようになりました。

とはいえ部屋の掃除をする中で、適宜これは必要かと上司に訊くのですが、上司はほとんどの物をもう要らないと言います。
こんなにも長い間大切にしていた物なのに何故と、私は何度も疑問に思いました。
ですがそれが、生前整理という作業なのでしょう。

「もし私が明日死んだら、この膨大な物を誰に任せることになるかな?」
「私にはそれを託せる人もいないし、できるだけ迷惑を掛けずに逝きたいんだよ。」
「だからね、必要最低限の物だけ置いておこうと思っている。」

この言葉は、今も私の胸に深く刻まれています。

上司は少し辛そうな表情を浮かべながらも、自分を納得させるかのようにゴミ袋へ物を入れていきました。
私もその仕分けや床掃除などをしながら、一緒に寂しい気持ちを共有しているようで、何だかとても辛かったです。
ただあれだけあった多くの物はあっという間に減っていき、最終的には軽トラック3台分ほどの物を処分したと思います。
10時間を超す重労働でしたが、終わる頃には私も充実感と空虚感に包まれていました。

「この家、こんなに広かったのか。」

最後に上司は、静かにこう呟きました。

この経験を通じて、自分の死後のことを考え大切な物たちを処分する、これがいかに重く寂しいことなのか痛いほど解った気がします。
あの上司の寂しそうな顔は、ずっと忘れることはないでしょう。
予め生前整理をして、いざというときに迷惑を掛けないこと、それも他ならぬ上司の優しさです。
それでも大切な物を処分するわけですから、終活には自己犠牲も必要なことを私は初めて知りました。

現在私は32歳で、まだ生前整理や終活のことなど全く考えていません。
ただ人間いつどうなるか分からない、そう思うと普段から物の管理はしっかりとしておきたいです。

物を大事にすることと物を手放す大切さ、上司にはこの両方を学ばせていただきました。
自分を見つめ直すという意味でも、この手伝いをして本当に良かったです。